事務局からのお知らせ

名古屋産業人クラブ名誉会長(リンナイ会長)内藤明人氏死去-中小のハングリー精神最後まで

20日に90歳で亡くなったリンナイ会長の内藤明人さんは、1984年4月から2016年4月まで32年間、名古屋産業人クラブの第3代会長を務めた。戦後は社員55人の町工場だった林内製作所(現リンナイ)を父・秀次郎氏から継ぎ、世界的ガス機器メーカーに育てた。その経営手腕と存在感は会員の憧れだった。中小企業のハングリー精神と心意気を最後まで保ち、会員たちを叱咤(しった)激励した。
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会長就任前はクラブ未加盟だった。「次の会長はこの人しかいない」と、無理を承知で入会と併せて会長をお願いしたと聞いている。実際、世界規模での広い視野と遠い将来を見据えた大局的な判断力に驚かされた。しかも自分に厳しく生真面目。何事にも手を抜かない、芯が通った人だった。
自社を大企業に育てた後も、中小企業経営に関心を持ち続けた。「中小企業の交流と切磋琢磨(せっさたくま)のために真面目にコツコツ、全国規模で活動している団体はほかにない」というのが内藤さんの産業人クラブ評だ。晩年、徐々に公職を離れる中でも、2016年に当クラブの名誉会長に就任するまで、会長職は常に続投を快諾した。
会員には「経営者は、好景気なら誰でもできる。厳しいときこそ真価が問われる」と繰り返した。成人に例え「一つの事業の寿命は20年。同じことをやり続けてはだめ」と説き、「広い視野で常に学び、会社を変えよ」と熱弁した。
さらに会員には「海外との接点を持て」とも助言。早い時期からナノテクノロジーやバイオ、環境といった新分野の技術の可能性も強調し、「どんな分野にもビジネスチャンスはある」と新たな挑戦を促した。
お酒を飲み過ぎることはなかったが、晩年まで健啖(けんたん)家だった。そしてマージャンが大好きで、負けず嫌いということもあってか、強かった。クラブの懇親会後は自ら面子(めんつ)を熱心に集めるほどだった。
歯に衣(きぬ)着せぬ、他人にも厳しい人だったが、それも常に真摯(しんし)だからこそ。叱られても憎めず、会合ではいつも会員が取り囲んだ。あの叱咤激励が聞けなくなってしまった。ご冥福をお祈りします。

(名古屋産業人クラブ事務局長・田村吉弘)


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